仕方などの形式的な面については,少人数で行う事は必須ではないため共通マニュアルなどを作成する,もしくは図書館セミナーのようなものを開いていただき,学生に参加してもらう方が効率的ではないかと思います。 ・すでに知っていることが多い。・前半部分は多文化社会学部では必要なかったのではないかと思います。「共通のテキストは難しい」とのことでしたが,それではいつまでたっても全学均質な教育は難しいということになりはしないでしょうか?最低限学ぶべきことはある程度共通していると思うので,それに向けたテキスト/コンテンツの開発を目指していただければ幸いです。ちなみに,私が担当した今年度の教養ゼミナールでは,多文化共通のテキスト+東北福祉大学のテキストhttp://www.tfu.ac.jp/liaison/edu/index.html を適宜参照して,学生にも配布しつつ授業を行いました。 ・初年次セミナーの内容について,かなり突っ込んだ共通シラバス案を提示すべきかなと思いました。 同じテーマで,FDを数度おこなうべきかと思いました。・趣旨説明が主な内容だったが,事例が欲しい。・工学部の場合,各コースの専門分野への意識づけ(専門の講義ではなく)も必要かと思っております。・教員には個性があり,その個性が大学教育の魅力の一つと思います。ほぼ同一の内容を講義して,偏りのない評価を行う,ということを個性が大きく異なる各教員に課すのは,矛盾があると思います。 ・初年次教育の重要性には,もっと大きな観点があります。高学年になって留年する学生は,すでに1年次前期のうちにほとんど,決まってしまいます(厳然たるデータがあります)。そのため,自覚に基づく学習態度の醸成は不可欠です。一方,4月一か月を終えた1年生に意見を聞くと,「時間割がスカスカ,いったいなんでこんなに勉強の密度が低いの?」,「せっかく好きな専攻分野の勉強が始まると思って期待してたのに,,訳のわからないセミナー講義があるの?」というのが多数です。ところが,7月になると「教養教育は適当にやればいいから楽でいい」に変わります。ここのところをまず,教員側はよく理解し,教育の戦略を考えるべきです。さて,その時に,「こうすべきだ」,「話し合って心づもりを」というような,本日,説明があったような初年次セミナーでは,学生にインパクトがなく,自覚も促せないのは明白です。冒頭に書いた4月の初めの「学生が熱い」内に,与えるべきメッセージは他にあります。それは何かというと,大分大学の初年次教育で大きな成果を上げている「血祭り」をすることです。何かというと,入学生にいきなり,学習生活の成功者(卒業生)10名の例と,失敗者(留年生,退学生,就職失敗組)10名の例を見せることです。名前や年を伏せ,履修状況や大学生活の生データを詳細に見せるのです。そして,それらの学生の教員からみた所見もコメントするのです。大分大学の初年次セミナーは,これが大きな成果を上げているそうです。そうすることによって,学生は,わが身のこととして,どう学部時代を送るべきか,真剣に考えだします。つまり,グループやクラスに流されずに,不抜の意気で,個人として,どう学部時代を生きようか,という深い考えをする機会を得て,自覚が促されます。これがいい,ああせよ,とか啓蒙書等にある美辞麗句で促すより,生データの方が圧倒的に意識を高めます。こうすると失敗するよ,こうすると有意義で,一生の宝,基盤となる4年間になるよ,ということを,胸をたたいて知らしめる。語るよりデータです。以上を総合すると,本学ですべき初年次教育像が見えるはず。是非,大分大学の成功7
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